創業680年の伝統「八丁味噌」のふるさとを訪ねてみた。

ライター:まるまる

味噌をつくる伝統の製法と自然の力。歴史と「人」を守り続けたい。

続いて、まるや八丁味噌の浅井信太郎社長にお話をうかがうことができました。

—— 見学させていただいた蔵もこの社屋も、すべてに伝統を感じさせる風格があって、感嘆しました。

浅井 
昔のままにしているだけなんですよ。この応接室も、戦争中に国に金属を供出した名残りで、窓枠のレールなんかもいまだに木のままにしているぐらいです。


—— 創業が1337年(延元2年、南北朝時代)ということですから、創業680年。とても長い歴史をお持ちですね。

浅井
 創業680年ではありますが、創業当時は何らかの醸造業はやっていたものの味噌だったかどうかは不確かです。確実に味噌作りをやっていたと言えるのは安土桃山時代です。豊臣秀吉によって島流しのように江戸に追いやられた徳川家康公が、三河を追われて嘆く家臣団を気遣って、故郷の味噌を取り寄せて配ったんですね。「この味噌はどこから来ている」と訊ねた家康に「岡崎の八帖のものです」ということで、八丁味噌と呼ばれるようになったということなのです。
 
まるや八丁味噌の浅井信太郎社長
—— なるほど、故郷の味を配る。福利厚生のようなものですね。

浅井
 そうですね。中京地区や三河では、部下を大切にする気質がいまも残っていて、トップが必ずしも偉いというわけではないんです。徳川幕府のピラミッド型の組織のなかで裏切りが少なくなったのは家臣団がとても大切にされたためだと言われています。


—— 江戸の家臣団に送られたということは、昔は地元よりも江戸のほうで消費地される味噌だったのですか。

浅井
 つい最近までそうだったんです。このすぐ横を矢作川が流れていますが、上流にダムができる前は流量も多くて、船を土場につけて荷の積み下ろしをしていました。もう土場はなくなりましたが、白壁の倉庫の跡が残っています。そこから江戸へ味噌を運んで、帰りの船に上州の大豆を積んでくる。それがずっと続いて、昭和に入ってもどちらかというと関東や京都の料亭などで消費されてきました。平成になっていわゆる名古屋めしの流行があって、名古屋への出荷も多くなってきたのです。
 
矢作川
—— 江戸時代からブランドとして確立していたんですね。

浅井
 もう少しラクにできないの、こんな苦労してやらなくたって味噌はできるんじゃないの、という声もあったみたいですが、ここの蔵はそういうことをしないで伝統を守ってきました。戦争に入る前に二社の八丁味噌が贅沢品とされ、国が発布した物価統制令に同意できず、製造を中止した経緯もあります。


—— そんなことをしたら国からにらまれませんか。

浅井
 確かにそうなんですが、その一方で、原料の大豆は供給してくれたので、軍部に卸すものだけは作り続けたんです。この味噌は水分が少なく腐りにくいから、潜水艦に積み込むのに最適だったんですね。


—— そうして守り続けたブランドが今に至っているわけですね。

浅井 私がこの仕事をやっているのは数十年足らずですが、昔からの伝統を守るという一心で仕事を続けています。もっと合理化できないのかとも言われますが、やりません。そういうことを要求されていないんです。合理化して安く分けてくれと言うお客さんはいません。いまもで桶の上に石積みをして、自然に任せて発酵させるのですが、農学部で勉強した人は、そんなのは単なる文化でしょう、発酵の内容を調べて同じことを技術的に促進させればいいじゃないですか、とい言います。その通りかもしれません。でも、自然の力で昔から作っていたんです。科学で同じことができたとしても、それをやりたいわけじゃない。それをやらないのが、お客さんからの要望なんです。いまじゃ新しく木桶を作ってくれる桶屋さんもあまりないんだけれども、去年も三本、今年も三本、注文しました。置くところはもうないんだけれど、作る人がいなくなっては困るので毎年注文するんです。
 
伝統の製法を守る
—— 自然の力とは、どのようなものなのでしょうか。

浅井
  たとえば乳酸菌です。除菌のためのアルコールなどを加えなくても、乳酸菌が自ら殺菌してくれます。それから日本の四季。味噌を入れた桶は上に石を積み、2年間寝かせますが、そのあいだ一切かき混ぜません。混ぜなくても、二夏二冬を経過させると全体に均一な味噌ができます。そのメカニズムはよくわかっていませんが、春夏秋冬の気温や湿度の差があるために、中で循環が行われているようなのです。大戦で昔の記録はほとんど失ってしまったんですが、享保6年(1726年)の台帳が残っていまして、よく見るとひとつの桶のなかで塩分を不均一に仕込んでいることがわかります。その濃度の差で循環を起こさせて、最終的に均一に持ってくる。自然の力をそのように生かす工夫が早くからなされていたんだと思います。


—— そうした伝統の製法を守ることができたのはなぜでしょうか。

浅井
 江戸時代からカクキュー(合資会社八丁味噌)さんと弊社と、二社だけの小さい組合だったから、きっちり約束事を守って共存できたのだと思います。六尺の木桶で作るのは約束事。味噌の二分の一の石をのせるのも約束事。低塩分、低水分も約束事。二社はライバル同士ではあっても、約束事を守るという基本は絶対に変わらないので、隠すこともなく共存してきました。実は弊社は、明治になって大名貸しが御破算になったり、当主が病気になったりして経営が苦しくなり、カクキューさんに身売りを申し出たこともあったんです。でも、カクキューさんには、ウチは(東海道の)南には行きませんよ、北と南で二社あるのが八丁味噌なのだから、あんたんところはあんたんところでやりなさいと断られた。そんなこともあって何とか淡々とやってきて、今に至っています。


—— 経営の信条とされていることはなんでしょうか。

浅井
 従業員を守ること。いまは成果主義などと言われますが、ウチはそういうのはいい。人をかきわけて成果をあげようとするようなことをしない。従業員が継続して勤めてくれることが、品質が高いということの証しです。そのためには、会社は赤字を出さないこと。派手にしないこと。きれいな事務所も自動ドアも要らない。ない知恵を絞りながら、ここらしい商品作りを守っていきたいと思います。


—— 今日は本当に、たいへん貴重なお話をありがとうございました。
まるや八丁味噌の浅井社長、加藤さん、本当にありがとうございました。
軽い気持ちで訪ねてみた八丁味噌の世界ですが、それは戦国時代から続く長い長い歴史をさかのぼる貴重な旅となりました。まるや八丁味噌の浅井社長、加藤さん、本当にありがとうございました。
 
まるやさんを出て、振り返った旧東海道。
まるやさんを出て、振り返った旧東海道。左がまるやさん、右がカクキューさんです。この道を、昔は大勢の旅人が行き来したんですね。
 
せっかくなので岡崎城も見学。
せっかくなので岡崎城も見学。別名龍城、徳川家康の生家として知られています。青空に天守閣が堂々とそびえています。
岡崎城を囲む美しい堀。
岡崎城を囲む美しい堀。悠久の歴史を背景に、ここでは時間もどこかゆったりと流れています。この土地が育んだ豊かな精神が、何百年もひとつの味を守り続ける原動力になっているんだなあと感じました。
 
もうひとつ発見した岡崎のキャラクター。
もうひとつ発見した岡崎のキャラクター。こちらは市の公式キャラクター、未来環境創造戦士エコマンダーです。岡崎の人はキャラ好きみたいです。
帰宅後さっそく、まるやさんの味噌を早速味わってみることにしました。
まるや八丁味噌さんの製品は、日本国内のみならず、すでに海外に輸出されていて、各地にある和食店だけでなくフランス料理でも使われるなど、いろんな国にファンがいるようです。ユダヤ教の食物の規定であるコーシャフードの認定も取得済みです。日本だけでなく世界で伝統の品質が認められた八丁味噌。これは日本人である私も味を覚えなくてはいけないと思い、帰宅後さっそく、まるやさんの味噌を早速味わってみることにしました。
いろんな国にファンがいるようです。
味噌田楽、味噌煮込みうどんなど「名古屋めし」も素敵ですが、まずはいちばんシンプルな味噌汁、なかでも八丁味噌の味が最も際立ちそうなしじみ汁にしてみました。材料は水と八丁味噌に、しじみ。それにネギ。他に何も入っていません。それなのになんと濃厚で滋味豊かなことか。シンプルなのに同時に複雑な味わいで、自然の恵みそのものといったこの味噌汁は毎日でも飲みたいぐらいです。これこそ日本の味噌の原点だと、幸せな気持ちになったのでした。
これこそ日本の味噌の原点だと、幸せな気持ちになったのでした。
※記事の情報は2018年2月15日時点のものです。
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