浜の焚き火と海の春《ソラノミダイアリー⑥ ホーボージュン》

今日も日本と世界のどこかで「空飲み」。アウトドアライターのホーボージュンが綴る酒と放浪の日々。今回は自宅前の浜の、春を告げるワカメのお話。

ライター:HOBOJUNHOBOJUN
メインビジュアル:浜の焚き火と海の春《ソラノミダイアリー⑥ ホーボージュン》

ワカメ漁が始まった。海の中にも春がやって来たのだ。

 春一番が列島を駆け抜け、野山ではコブシや桜が咲きはじめたが、海の中にも春がやって来た。今年もワカメ漁が始まったのだ。


 僕の家の前の浜では水平線に春霞がかかるようになると、浜に流木や古材がうずたかく積まれ、あちこちで焚き火が熾される。といってもキャンプファイヤーをするわけじゃない。この焚き火でお湯を沸かし、海で採ったワカメを茹でるのだ。


 ワカメを知らない人はいないだろう。味噌汁やサラダでお馴染みの海草だ。ミネラルたっぷりで美容と健康に欠かせない。血中コレステロール値を下げたり高血圧の予防にも効果があると言われ、日本食のヘルシーさを代表する食材にもなっている。


 じつはワカメは縄文時代から食されていて、万葉集にも頻出するほどの人気者。しかし世界的に見るとワカメを食用にしているのは意外にも日本と朝鮮半島だけだそうだ。またこれもあんがい知られていないが、ワカメは最初からあんなに鮮やかなグリーン色をしているわけじゃない。海の中で見るワカメは昆布やヒジキと同じく、どよーんとした茶色なのだ。


 それを引き上げ、熱湯でさっと茹でるとみるみる色がかわり鮮やかなグリーンになる。そしてそれを冷水(海水)に晒すとシャキッと透き通ったあの美しいワカメに変身するのだ。僕らがふだん魚屋さんや鮨屋さんで見かける「生ワカメ」はこの「浜で湯通しした状態」なのである。


 浜ではこうして湯通ししたワカメをロープに干し、風に晒して乾物にする。だいたい一昼夜風に晒すと水分がすっかり抜け落ち、元の四分の一くらいのチリチリした乾燥ワカメになる。それにはカラッと冷たい風が欠かせない。


 そもそもワカメというのは冬の海草だ。夏に「めかぶ」と呼ばれる球状の部分から排出された胞子が岩礁に着床して発芽し、秋から冬にかけて葉を出す。それが北から降りてくる冷たい寒流によって育てられ、正月から3月にかけてグイグイと伸びるのである。東北の三陸海岸では雪の舞う頃から採り始めるが、湘南では花曇りのころに漁が始まる。今年は2月4日が初日だった。

 桶ひとつ乗せて早春のワカメ舟 島村元


 初漁と同時に浜の至る所で焚き火が熾され、大きな釜からグラグラと湯気が立ちのぼる。僕の町内は今も漁家が多く(ウチの大家さんも兼業漁家だ)、家族総出で作業をする。浜に立ち上る煙と釜の湯気はなんともいえぬ味わいがある。華やいだ夏のビーチしか知らない人にはぜひ見てもらいたい早春の風物詩だ。


 立ち上る浜の煙や春ワカメ ホーボージュン


 しかしちょっと困ったこともある。それは洗濯物が焚き火臭くなってしまうこと。海風に煽られてたなびく煙がちょうど我が家の物干し台を直撃するのだ。からっと晴れた“洗濯日和”は漁師にとっては“ワカメ日和”だ。かくして白いYシャツからバスタオルに至るまで、ありとあらゆる洗濯物が燻される。焚き火をジンセイの友とする僕にはまったく苦じゃないが、それでも一応よそ行きのシャツだけは室内に干すようにしている。まあよそ行きなんてめったに着ないんだけどね。
ワカメ漁が始まった。海の中にも春がやって来たのだ。

これまでワカメになんか、1ミリも興味なかった。

「少しで悪いけど食べてよ。初物だからさ」


 毎年初漁の日には近所の漁師さんが獲れたてのワカメを差し入れてくれる。湯通しする前の茶色いワカメだ。洗面器に入れて持ってきてくれたワカメからパアッと磯の匂いが広がる。


「今年のデキはどうですか?」


「おかげさんで、悪くないよ」


 日に焼けた顔がほころぶ。去年とは違い目がキラキラと輝いている。


 じつは去年の湘南は歴史的な不漁だった。ラニーニャの影響で海水温がまったく下がらなかった上に黒潮の大蛇行で潮目が代わり「こんな年はこれまでなかった」というくらい海草の発達が悪かった。ワカメだけじゃない。夏のシラスもひどい不漁で、漁家は軒並み大打撃を被った。


 悪い時には悪いことが重なるものだ。秋の台風22号が湘南にさらに甚大な被害をもたらした。運悪くこの日は大潮で、台風の最接近と明け方の満潮時間が重なって大規模な高潮が派生した。僕は避難勧告に従って前夜から山の上に逃げていたので無事だったが、家の前ではテトラポットが割れ、5棟の漁師小屋がこっぱみじんに砕かれた。


 高齢化の進む漁家では復旧作業もままならない。僕もできる範囲で土方作業を手伝ったが、年老いた漁師の中にはこれを潮時に引退する人もいた。それだけにこの春のワカメ漁は地元の“希望”でもあったのだ。だから洗面器いっぱいの磯の香りが届いた時には僕もちょっとグッとなった。


 いただいたワカメはせっかくなのでしゃぶしゃぶにすることにした。「ワカメでしゃぶしゃぶ?」そう思う人もいるかもしれない。僕もかつてはそうだった。いや、それどころか生まれてこの方、ワカメになんて1ミリも興味なかったのだ。


 まあ味噌汁に入っていれば食べるが、わざわざ買ったりなんかしない。ましてやしゃぶしゃぶなんてありえない。なにが悲しくてそんなことするんだ。しゃぶしゃぶと言えば牛肉に決まってるじゃんか。海産物ならフグしゃぶだろう。あるいは百歩譲ってブリしゃぶだ、と。


 ところがどっこいぎっちょんちょん。初めて食べたときは世界がひっくり返るような衝撃を受けた。


 漁師さんに教えて貰った通り、カツオ節でダシをとり火にかける。フツフツしてきたところに新タマネギと白菜を入れ、もらったワカメを箸に取る。そして鍋に入れてサッと揺する。するとどうだろう。ぱあっと、まるで魔法でも見ているように鮮やかな緑になるのだ。その半透明の緑をポン酢につけ、口に含んだ時の感動といったら!


 いったいこの衝撃を何にたとえればいいのだろう?


 摘んだばかりのアスパラガスを食べたときの感じ?

 畑で生のトウモロコシを囓った時の感動?

 それとも極寒の高原で縮みほうれん草を食べたときの驚き?


 どれにも似ていないが、どれにも似ている。

 それは言葉にできない衝撃だ。

 旬の食物だけが持つ、若々しい喜びだ。


 初物のワカメには海草独自のえぐみはなく、新鮮な果物でも食べているようなのだ。それはまるで海そのものを食べているように僕には思えた。


「ちょっと呑みたいなあ」


 ワカメしゃぶしゃぶをつついていたら急に酒が飲みたくなった。

 こういう時はどんな酒が合うのかな?


 ビール? お湯割り? それともワカメ酒?

 えっ……あれは違うか。違う違う、ぜったい違う。


 ちょっと考えたあと、冷蔵庫に冷やしておいた日本酒を出してきた。会津の友人が送ってくれた「荒走り(あらばしり)」だ。寒造りの日本酒を最初に搾る際に出てくる一番フレッシュな部分。味が安定しないのであまり店頭には並ばないが、日本酒好きにとっては早春のなによりの楽しみだ。


 薄く濁った酒をグラスに注ぐとフワッとフルーティな香りが広がった。まるで目の前でパッと花が咲いたかのようだ。口に含むと弾けるような香味とさわやかな旨みが広がった。アルコール度数が低いのでコクも厚みもなく、そのままスッと喉の奥に消えた。それはたったいま海から引き上げたばかりのワカメにとてもよく合った。


 ああ、また春がやって来たんだ。


 日めくりやGoogleカレンダーではなく、こうして自然の恵みで新しい季節の訪れを感じられるのが日本のいいところだ。僕は浜の焚き火を眺めながら、その喜びを噛みしめていた。




※記事の情報は2018年3月29日時点のものです。
 
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