ジンのルーツと言われる蒸留酒「ジュネヴァ」の産地を探訪

ジュネヴァは穀類とジュニパー・ベリーなどのボタニカルでつくる蒸留酒。ジンのルーツとされ、一次は世界中で飲まれました。その一大生産地として栄えたオランダのスキーダムを訪ねジュネヴァの成り立ちを探ってみます。

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ブランデーからモルトワイン、そしてジュネヴァへ

1500年頃のオランダではジュネヴァが広く飲まれていました。もともとはワインを蒸留したブランデーが好まれていたのですが、気候変動などでブドウの不作が続き、酸化したビールなど他の原料を使うようになりました。

蒸留酒メーカーはより安価な原料を求めて、ビールを経ずに穀物から直接つくり始めます。これはモルトワインと呼ばれ、ブランデーに比べると荒々しく癖が強かったからでしょう、次第に飲みやすさを求めボタニカルを加えるようになります。アニスシードやキャラウェイといった輸入品のボタニカルは高価でしたが、ジュニパー・ベリーは古くから薬効があるとされ、この地域でも比較的容易に入手できました。香味も良好だったため盛んに利用され、すぐにオランダにも広がりました。

ジュネヴァはジュニパー・ベリーの香る酒となり、現在ではジンのルーツと言われるようになりました。
ジュネヴァの香味を特徴のひとつはボタニカル
ジュネヴァの香味を特徴のひとつはボタニカル

オランダ東インド会社とともに世界へ

大航海時代の当時、オランダは宗主国であるスペインと海の覇権を争うほどの力を持ち、オランダ北部は1568年に最終的には80年続くことになる独立戦争に突入します。1581年に北部が独立を宣言すると、オランダはジャワ島を起点にアジアに進出し、1602年に世界初の株式会社と言われるオランダ東インド会社を設立、17世紀を通じて商業国として栄え黄金時代を迎えます。

ジュネヴァはこの貿易ネットワークに乗って世界中に広がっていきました。また、オランダ独立戦争でオランダに加勢した英国では、兵士たちがジュネヴァを持ち帰り大きな市場が形成されました。
世界中で飲まれたジュネヴァを象徴するパッケージ
世界中で飲まれたジュネヴァを象徴するパッケージ。ボックスの内側に世界地図が描かれ、飲まれている地域が示されている
貿易で栄えた17世紀オランダの黄金時代のネットワーク
17世紀は貿易で栄えたオランダの黄金時代。このネットワークでジュネヴァが広がった

アメリカのカクテルブームを牽引

その後、ジュネヴァはアメリカでカクテルブームを巻き起こします。1862年にジェリー・トーマスが初めてのカクテルブックを出版しますが、紹介されたカクテルの4分の1にジュネヴァが使われていたほどで、この頃のアメリカでのジュネヴァの販売量は英国産ジンの6倍という隆盛を誇りました。  

しかし、1920年にアメリカで禁酒法が施行されて輸出がストップ、その後、第二次世界大戦などの影響でジュネヴァは海外の市場を失います。ジュネヴァは次第にオランダ周辺だけで飲まれるローカルスピリッツに戻っていきました。
華やかなバーを彩るカクテル。そのけん引役がジュネヴァだった
華やかなバーを彩るカクテル。そのけん引役がジュネヴァだった
世界的なリキュールメーカー「BOLS」の博物館「ハウス・オブ・ボルス」のバー
世界的なリキュールメーカー「BOLS」の博物館「ハウス・オブ・ボルス」のバー。同社はオランダ最古の会社でジュネヴァも製造し、その世界化と共に成長した。今はカクテル文化のリーダーを自負しカクテル教室を開催、見学者にもカクテルを体験させる

風車がジュネヴァを伝える街スキーダム

アムステルダムから鉄道で1時間強、港湾都市ロッテルダムに隣接するスキーダムは、ジュネヴァの製造がオランダでもっとも盛んだった町です。最盛期の1800年頃には392の蒸留所がありました。ジュネヴァ製造が発達した背景には、海運の便がよく原料の安価な穀物が安定的に供給されたこと(海の水を被るなどして他には使えない穀物が安く供給されたという話もある)や輸出しやすかったことがあるとされます。

また、原料の穀物を挽くための風車(ウインド・ミル)が往時には30基もあり粉挽業が発達しました。粉挽きの効率を上げるため風車はどんどん大型化し、スキーダムに現存する八基の風車で最大のものは高さ33mと世界最大、多くの観光客が訪れています。
スキーダムには博物館として中を見学できる風車やレストランになった風車などが歩ける範囲に点在している
スキーダムには博物館として中を見学できる風車やレストランになった風車などが歩ける範囲に点在している

ニシン漁と織物業の街だったスキーダムはジュネヴァの街に変わったのでしたが、その後急速に廃れていきます。1820年頃から連続式蒸留器の実用化が進み、安価なアルコールが大量に供給されるようになると、小さな単式蒸留器しか持たない蒸留所は一気に淘汰され、1920年には14ヶ所を残すのみとなりました。

それでも人気のクラフトジン「ボビーズ(BOBBY'S)」を製造するハーマン・ヤンセン社や、日本でもお馴染みのリキュール「ピーチツリー」のデ・カイパー社など、現在も8つの蒸留所が稼働しています(スキーダム観光局公式サイトより)。
国立ジュネヴァ博物館
国立ジュネヴァ博物館。旧市街の中心にあり目の前の運河を遊覧船が行き来する。風車博物館の入場料とセットで€15(2022年5月現在)
スキーダムには国立のジュネヴァ博物館があります。かつて蒸留所だった施設を改修したもので、ジュネヴァの歴史や製法を解説する展示だけでなく、昔ながらの製法でジュネヴァをつくり、ショップで販売しています。  

博物館でつくられるジュネヴァの原料は大麦とライ麦です。大麦を発芽させてモルトにし、ライ麦とともに破砕して湯を加えて糖化します。ビールやウイスキーはここで濾過して麦汁を採りますが、ジュネヴァはドロドロの状態のまま発酵に進みます。

3日くらいでアルコール度数7%の醪ができ、これを単式蒸留器で3回蒸留し、最終的にアルコール度数60%ほどのモルトワインができあがります。ジュニパー・ベリーの香味付けは、モルトワインの一部に他のボタニカルと浸漬してジンスチルで蒸留しジュニパー・ベリー・スピリッツを得て、これをモルトワインにブレンドします。ジュネヴァにはそのまま貯蔵して製品化するものと、樽で熟成させるものがあります。
風車博物館で今も挽粉を見られる
風力で写真の石臼を回してジュネヴァの原料となる穀物を挽いた。風車博物館で今も挽粉を見られる
木製の糖化発酵槽
木製の糖化発酵槽。モルトとライ麦に蒸留窯で沸かした湯(約67℃)を加え攪拌して糖化、さらに加水して発酵へ
煉瓦で覆われた単式蒸留器が2基並ぶ
煉瓦で覆われた単式蒸留器が2基並ぶ。一回目の蒸留でほとんどのアルコールを抽出し、蒸留粕は昔から飼料に
ボタニカルからの香気成分の抽出を丁寧に説明し、香りを体験できるようにしてある
ボタニカルからの香気成分の抽出を丁寧に説明し、香りを体験できるようにしてある

博物館の試飲カウンターではいろいろなジュネヴァを飲み比べることができます。ジンのルーツと言われますが、どれも顔を近づけたとたんにジュニパー・ベリーが香ってくるようなことはなく、口に含んでから穀物原料のどっしりとしたスピリッツの味わいのなかにジュニパー・ベリーを感じます。  

なお、ジュネヴァの呼称はEUで原産地呼称を保護されており、オランダ、ベルギー、ドイツとフランスの一部でつくられたものしか使えません。
左の3点は博物館製造のモルトワイン、ジュネヴァ、樽熟成ジュネヴァ。右の3点はスキーダム産のクラフトジン
左の3点は博物館製造のモルトワイン、ジュネヴァ、樽熟成ジュネヴァ。右の3点はスキーダム産のクラフトジン

※記事の情報は2023年3月2日時点のものです。

  

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