日本のウイスキーの父、竹鶴が夢見た「宮城峡」の歴史をあらためて深堀してみた。

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今回は原酒不足が問題になっている日本のウイスキーの歴史について深堀してみます。

ライター:青田俊一青田俊一
メインビジュアル:日本のウイスキーの父、竹鶴が夢見た「宮城峡」の歴史をあらためて深堀してみた。

ニッカウヰスキー オールドニッカ 仙台宮城峡竣工記念3Dラベル(非売品)

ニッカウヰスキー オールドニッカ 仙台宮城峡竣工記念3Dラベル(非売品)
サントリー「白州12年」、「響17年」の販売休止のニュースも記憶に新しいところですが、いま国産ウイスキーの原酒不足が深刻な問題となっています。
そんな折、弊社の偉い人から珍しいものがあるからと手渡され、これを記事にしろというありがたいミッションをいただきました。その珍しいものとは、宮城峡が竣工されたときに業界関係者に記念品として配られた「オールドニッカ」です。記事にするのはハイ喜んでなのですが、如何せん宮城峡の竣工は1969年、アラフォーの私はまだ生まれているわけもなく当時のことを知る由もないので、偉い人にその歴史背景を教えてもらうことにしました。

ニッカの社名は、創業の地「北海道余市」でウイスキーが熟成するまで、昭和9年に北海道余市町に設立した「大日本果汁株式会社」という前身の会社でリンゴジュースを作って糊口を凌いでいたことからこの名前がつきました。
その後、やっとウイスキー事業が軌道に乗った昭和40年前後、今度は日本中がウイスキーブームで原酒不足の状態が続いており、ニッカも余市の原酒をふんだん使った国産ウイスキーを世に出したくても出せませんでした。
また、かねてから国内で複数の個性の違う原酒をつくり、それをブレンドしたウイスキーを創りたいと思っていた創業者の竹鶴は、余市とは違う蒸留所の必要性から候補地として仙台宮城峡を訪れ、その自然豊かな環境と美味しい水、更にはその地に新川(にっかわ)という名の川が流れていたことに強い縁を感じ、この地に蒸留所を建てることを即決した、という話が残っています。
そして、修行した本場スコットランドになぞらえ、余市をハイランド、宮城峡をローランドとして、自分で作った原酒をブレンドしたウイスキーをつくる夢を持ち続けたそうです。

そして宮城峡蒸留所の完成で、やっとその夢が実現することになった竹鶴ですが、その喜びを表現し、竣工記念として業界関係者に配られたのが、この「オールドニッカ仙台工場記念ラベル(非売品)」なのです。その中身は余市蒸留所の原酒(まだ宮城峡の原酒はできていないので)と、関連の西宮工場で製造したグレーンウイスキーをブレンドしたブレンデットウイスキーでした。
それは、今まで虎の子のように大事にしてきた余市の原酒を、心置きなくふんだんに使った特別ブレンドのウイスキーであり、「竹鶴政孝が余市の原酒にみた夢」を具現化した商品でした。
それは1969年のこと。しかし、夢追い人「竹鶴政孝」は、その10年後の1979年に永眠します、宮城峡蒸留所で10年以上寝かしたシングルモルトを飲むことなく。

その「竹鶴政孝が宮城峡にみた夢」を形にしたのが「ニッカ シングルモルト宮城峡15年(終売品)」です。

宮城峡15年(終売品)

宮城峡15年(終売品)
「宮城峡15年(終売品)」は宮城峡蒸留所の最上ランクのプレミアム商品ですが、数年前に発売中止になっており、宮城峡蒸溜所のバーカウンターでも飲むことができないウイスキーマニア垂涎の商品です。
そのため今では手に入れることのできない大変貴重な商品となっているわけなんですが、なぜか偉い人が保管していたので、貴重なウイスキーが私の手元にあるという不思議な状況に置かれています。

宮城峡蒸溜所の原酒はライトで華やかで、重厚でリッチな余市蒸留所原酒とは対極だと言われています。さらにこの「宮城峡15年(終売品)」は、シェリー樽で熟成した宮城峡原酒がふんだんにブレンドされています。そのため、甘く華やかな香りとメローで優雅な味わいが特徴だそうです。竹鶴政孝が建てた宮城峡蒸留所の長期貯蔵原酒をこれでもか、と使った商品です。偉い人には開けて飲んでよいと言われましたが、チキンな私には開けることができなかったため、残念柄味わいをお伝えすることができません。なにか特別にいいことがあったときに飲んでもいいか聞いてみようと思いますので、その際はまたこちらにてレポートさせていただきます。お楽しみに。いいことがあるかどうかが問題ですが。


※記事の情報は2018年7月16日時点のものです。
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