辰巳芳子『味覚日乗』の再現レシピ《肴は本を飛び出して⑬》

「小説やエッセイ、漫画に出てきた食べ物をおつまみにして、お酒を飲んでみたい」 家飲み派の筆者がささやかな夢を叶える連載、今回は辰巳芳子先生のエッセイ『味覚日乗』からの再現です。

ライター:泡☆盛子泡☆盛子
メインビジュアル:辰巳芳子『味覚日乗』の再現レシピ《肴は本を飛び出して⑬》

母から娘へと伝わる巨大厚焼き玉子



◾こんな本です
料理家・辰巳芳子先生が四季折々の恵みを豊かな表現力で綴る料理随筆。

春の蛤鍋や蕾御飯、夏は梅仕事に雷干し、塩水バケツに浸けてから焼いたトウモロコシ。秋には秋風で作る干物やむかご御飯、冬がくれば牡蠣のからめ煮を油漬けにし、大根葉のひすい揚げに鰤大根……。

どのページをひらいても喉がゴクリとなるような素晴らしい食べものに出逢える、食いしん坊のバイブルと申せましょう。料理の紹介と同じくらい私が好きなのは、料理研究家の先駆者として知られた母上の辰巳浜子先生のエピソード。 なかでもお気に入りなのはこちらです。
 
「ただいまッ」。靴を脱ぐ間ももどかしく、「今夜はなんだ?」と父。「なんでもあるわよ」とはずむ母。
“なんでもあるわよ”で、目と目がにっこり。「おかえりなさい」と迎えに走り出たみんなも、ぴったり明るく楽しい心になったものです。
(中略)
 なんでもあるわよーーーの夕餉の食卓。それは「酒の肴にお金をかけるもんじゃないよ。才覚でお作り」の口ぐせ通り、季節のほんとになんでもないものを、父の好みに合わせて作り、父のテンポに添って出す。これだけのことなのです。
ビールで始まり、日本酒で終わる父の習慣。これに合わせ酒肴を並べます。大別して言えるのは、ビールに生臭いものは合わないから、刺身・焼魚・煮魚は日本酒に合わせて用意するのです。
・初夏から夏にかけ、空豆、枝豆のあつあつ。
・初秋のきぬかつぎ、晩秋の炒りぎんなん。
(中略)
・精のつくものと言えば、父は塩らっきょうが好きでした。十分塩出しして、ガラス器にぶっかき氷と。キリキリ冷たいらっきょうカリカリ。焼きたてのソーセージにフレンチ・マスタード。とってもビールが美味しいんです。(略)

辰巳芳子 『味覚日乗』ちくま文庫 「愛につられて」より
家族を思いながらととのえるお膳のなんて魅力的なこと! こんな酒肴が待っていたら、毎日駆け足で帰宅するに決まってますよね〜。

◾ここを再現
心臓焼き
そして、浜子先生の愛情はもちろん、子供達にもたっぷりと注がれていました。

今回再現する「心臓焼き」こと厚焼き玉子は、「当時高価だった伊達巻きをあまりに大切げに食べる子らを見て、その代わりに作りはじめたもの」だそう。
 
十個の玉子に出汁と調味料を配合し、厚手鍋に一気に流し込み、よせ焼きにしてしまう、私が幼い日に母の手際を感嘆し「心臓焼き」と名づけた、そんな性格のものでございます。

辰巳芳子 『味覚日乗』ちくま文庫 「感応を頼りに」より
玉子液を少しずつ加えて焼くのではなく、一気に火を入れてじっくりと煮詰めるように焼いていくのが「心臓焼き」の大きな特徴です。
 
なぜ普通の玉子焼きのように、焼きながら卵汁を加えつつ、おいおい大きく巻くことをせず、大鍋に一気に卵汁を流し込むようにしたのか、今となってはわかりません。申し上げられるのは、一気に流し込んだために得られる効果です。鍋のふちに焼き寄せた玉子からは、出汁と調味料が滲出します。この滲出液を玉子のかたまりにかけては煮つめを繰り返します、これが、独特の味わいのもとになるようです。
母も玉子に対する自分の感応を唯一の頼りに、誰に習うでもなく作りました。“感応力”。なんと幸せな能力でしょう。

辰巳芳子 『味覚日乗』ちくま文庫 「感応を頼りに」より
本編では、この心臓焼きに関する随筆を読んだ80歳の老婆がその鍋を見せてほしいと、山形から単身で訪ねて来たことに感嘆した旨が書かれています。

「私の田舎は間も無く国鉄が廃止になります。それからではもうお訪ねはかなうまいと思い立ってまいりました」という老婆との出会いを経て、辰巳さんはこう語っています。
「よい料理の持つ底力もさることながら、自分の心の感応を信じられる人の幸せをつくづく思います。」

心臓焼きの再現レシピ

前置きが長くなってしまいましたが、さて、再現です。この本には分量などの詳細が載っていないため、チャレンジされる場合は「心臓焼き」で検索してみることをおすすめします。
 
材料
ちなみに今回は以下の分量で作ってみました。

<材料>
・玉子…10個
・濃いめの一番だし…300ml
・酒…100ml
・醤油…大さじ3
・砂糖…大さじ山盛り5
・塩…小さじ1/3
・オリーブオイル…大さじ3
※分量は検索結果を参考にしています。
 
フライパンに大量の卵液を流しこむ
オリーブオイル以外をよく混ぜて、オリーブオイルを熱した鍋に一気に流し込みます。ちょっとひるんでしまうほど大量の卵液!
 
木ベラなどで絶えず全体を混ぜ続けます。
木ベラなどで絶えず全体を混ぜ続けます。弱火1〜2分で少しずつ固まってきました。
 
滲み出た卵液や調味料を回しかける
混ぜ方が足りなかったのか、玉子の塊がぽろぽろとできてしまいました。その間をつなげるように、滲み出た卵液や調味料を回しかけていきます。

それを繰り返すこと35分!!!(腕痛い……)

心臓焼きの完成です!
心臓焼き完成
鍋から皿に移すのもたいへんなくらいずっしりとしています。
 
表面はテリッテリ!
表面はテリッテリ!
 
心臓焼き断面
普通の玉子焼きやだし巻きとは明らかに違う、みっちりとした生地に感動。混ぜ続けた甲斐がありました。

砂糖がけっこうな量入るので、最初に甘みと玉子の味がしっかりと感じられます。それを追うようにだしの香りがふわり。気合いを入れて濃いめのだしを引いた自分をほめたい。

お酒は、心臓焼きが生まれた頃の酒卓に寄せて、昔の「普通酒」に近いものを合わせました。玉子の甘さとお酒の甘さがリンクしてなかなかどうして、なマッチングです。

辰巳先生もこの本の中で「玉子焼きは意外にお酒と相性がよいのを御存知?」(「春の鍋仕立て」より)と書いていらっしゃったことだし、お試しになる方はぜひ日本酒でどうぞ。


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この記事は、仕事を兼ねて帰省している実家で作成しました。自分ひとりならきっと挑戦できなかったこの心臓焼き。家族の驚く顔を想像しながらぐるぐると玉子をかきまぜるのは、心穏やかなよい時間でした。

普段は離れて暮らしているだけに、食の喜びを共有できるありがたさ、嬉しさが身にしみます。でも一番大きなひと切れはまっさきに自分のものにしてしまった……感応というか煩悩力が強い私。

※記事の情報は2020年10月7日時点のものです。
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